黒船、受けて立つぞ!|継田ブログ

Category: 継田ブログ, BLOG 2017-07-09

1833年江戸の末期
アメリカの司令長官ペリーが軍艦4隻を率いて
浦賀(神奈川県)にやってきました。

アメリカの大統領の手紙を待ってきたのです。

手紙にはこう書いてありました。

アメリカの船に石炭や食べ物を売ってほしいと・・・
日本と仲良くして貿易がしたいと・・・

手紙にはやさしく書いてありましたが、

日本の大砲と比べものにならない
すげー大砲をそなえた4隻の軍艦できてるわけですから、

はっきり言って ”おどし” です。

そんなことで幕府は、すっかりおじけづいてしまいました。

アメリカだけではありません。
イギリス、フランス、オランダといろいろな国の黒船が  ※黒船…外国船のこと
日本にやってきて、開国をせまったんですね。

そんなこんなで江戸がびくびくしていた時、
水戸藩第9代藩主徳川斉昭は、異国船を打ち払うための
大砲を製造することにしました。

ひたちなか海浜鉄道の那珂湊駅にある

那珂湊反射炉跡です。

1864年元治甲子の乱の戦火のなかで焼失崩壊しました。

現在、茨城県指定史跡に指定されているのは、復元されたものです。


追記  写真が添付できませんでした。
    大変申し訳ありません。